ブータン国王から唯一表彰された日本人、西岡京治(にしおかけいじ)ってどんな人?
▲西岡京治氏の紹介。「ブータン人の尊敬人物」とある
親日国であるブータンでも、最も愛された日本人といえば、西岡京治氏です。
後に「ブータン農業の父」と呼ばれた人で、ブータンでは「ダショー・ニシオカ」と呼ばれています。「ダショー」とは国に大きな功績を納めた人だけに授けられる称号で、「最高に優れた人」という意味を持ちます。
彼は、海外技術協力事業団(現在のJICA)で、国土のほとんどが山谷ばかりという、農業環境が極めて悪いブータンに技術を指導するために海を渡りました。もともとの任期は2年でしたがその後も指導を続け、28年もの間、ブータンの農業技術向上に尽くしました。
▲ブータンのバザール(市場)に並ぶ野菜
ブータン政府の要請を受けてパロにやって来た当初は、現地の人の冷たい態度を受けたこともあったそうです。ですが持ち前の根気と忍耐力を発揮して、畑の耕し方、種のまき方、道具や機械の使い方などを丁寧に教えていくと、やがて農業効率は上がり、野菜やお米などで大きな収穫を得ました。
それだけでなく、水路や道路を整備して、人々の暮らしを劇的に変えるという町おこしまでやってのけたのです。その熱意と功績から、村人からの信頼や感謝に留まらず、ブータン国民に繁栄をもたらした日本人として認められ、第4代ブータン国王からダショーの称号を与えられました。
1992年3月26日に西岡氏がブータンで亡くなると、葬儀には5000人もの人々が訪れ、大勢の僧侶による読経が止むことなく続きました。それほどブータンの国の人々に愛された人だったのです。
ニシオカ・チョルテンに行ってみよう!
ブータンでは、有力な人や尊敬を集めた人が亡くなると、チョルテンと呼ばれる仏塔をつくる習慣があります。
西岡氏のためにつくられた仏塔は「ニシオカ・チョルテン」と呼ばれ、ブータン西部の街パロの、連なる棚田を見下ろせる場所に建っています。
▲ニシオカ・チョルテン
ニシオカ・チョルテンには遺骨や遺灰が納められているわけではありませんが、パロ空港から車で30分ほどの場所にあるので、ブータンに行ったらぜひ訪れていただきたい場所です。
眼下に広がる田園風景を見ながら、西岡氏の功績に思いを巡らせてみると、両国の友好を感じつつ、少し誇らしい気持ちにもなれることでしょう。
▲パロの棚田の風景