現在もマハラジャが暮らす、ジャイプルのシティ・パレス

ジャイプルのシティパレス

ジャイプルのシティ・パレスはこんな場所

マハラジャがアンベールから移り住んだ街、ジャイプル

1727年、この地を治めていた豪族カッチャワ・ラージプート族の当主サワイ・ジャイ・シン2世がアンベールからジャイプルに移り住みました。

11km北東にあるかつての王国アンベールは岩山の上に城砦が築かれていたため、水不足や人口増加に対応できなくなり、現在の位置に新たな計画都市が建設されました。

ジャイプルのシティパレス

ジャイプルはピンク色の街

ジャイプルの街の名前のうち「ジャイ」は、創設者ジャイ・シン2世の名前からつけられました。

「プル」は「城壁に囲まれたヒンドゥーの街」という意味があります。

ウダイプル、ジョードプルなど、厳格なヒンドゥー教徒の多いラジャスタン州には「プル」の付く名前の街が多いのです。

アンベール城のように岩山の上に建つのではなく、平地に宮殿を作るので、分厚く防御力のある城壁で囲む必要があったのでしょう。

ジャイプルの街がピンク色になった理由

ジャイプルは、名前の通り、建設当時、高さ6m、総延長10kmを超える城壁で囲まれており、城壁には8つの門が設けられました。

現在のジャイプルは、ラジャスタン州の州都です。

ラジャスタン州の藩王(マハラジャ)は、ムガル帝国時代も、イギリス領インド帝国時代も、領地の自治権が保証されていました。

そのため、デリーやアグラなどとも比べて、より伝統的な、インド的な雰囲気が今に残されいます。

1876年、イギリスのヴィクトリア女王の息子、アルバート王子がこの地を訪れた際、マハラジャ一家の歓待を受けました。

この時に歓迎の印として、市街の建物をピンク色に塗ったのをきっかけとして、現在でも、旧市街の城壁内の建物をピンク色で装飾し、「ピンクシティ」と呼ばれる景観を持っています。

現在もマハラジャの末裔が暮らす、シティ・パレス

ジャイプルのシティパレス

美しい装飾

王族一族は、1947年のインド独立後も、旧市街の中心にある「シティ・パレス」に居住しています。

現在は、王族の方が住むエリアには立ち入ることができませんが、旗が揚がっている時は王族の方がいる時です。

(今では王族の方は国内外への出張などで不在が多く、旗があがっていないのケースも多いとか)

いくつかの建物は現在博物館となっていて、一般の観光客も見学可能です。

謁見の間に置かれている銀製の大きな壷2つは、世界一の大きさとしてギネスブックに登録されています。

1902年、マハラジャがイギリスへ船で渡航する際に、沐浴用にガンジス川の水を入れていくために作られたものです。

今も昔も、マハラジャは敬虔なヒンドゥー教徒だと窺えますね。

華やかなマハラジャの雰囲気を残す街ジャイプルは、インドの中でも、もっともインドらしい街といえます。ぜひ訪れて、あなたの目でご覧下さい。


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